「進化の道具⑤」ー視力が下がったとは?ー
こんばんは! プラオプ ハセガワです。
先回は「視力」の種類から「明視域」という見える範囲のお話でした。
近視の眼鏡は明視域を遠くへ移動させ、老眼鏡は近くに移動させる。
そして乱視のレンズは「本来持っている一番ハッキリさ:矯正視力」を発揮させるように働くよ・・・というお話。
ここで一つ、視力に関しての誤解を解いておこうと思います。
「視力が落ちた」って何か?
「なんだか最近よく見えないなぁ」と健康診断で視力検査をしたら「視力が0.6」・・・
うーんこれでは免許の更新も不味いかな・・・
そう感じる本人は分かっている事なのですが「視力が落ちた」といっても視界全体がボヤけるわけではありません。
「近視が進んだ」とはよく聞きますが、それは眼病などではない限り「明視域の変化」した事の現れと言い換えられるかもしれません。
つまりこういう事。
なので「遠方視力」は下がったかもしれませんが、明視域の中では以前と変わらないハッキリさを保っているわけです。
視力表は距離に応じて大きさを変えなければなりません。つまり、目に映る見かけ上の大きさを同じにすることで、その距離における視力を測る事ができるのです。
5m先の1.0の「C」の切れ目は1.5mm。
3mならば約1mm。
2mならば0.6mm。
1mならば0.3mm。
50cmならば0.15mm・・・
つまり「近視が進んで」「遠方視力が落ちた」としても、1m先が「明視域」に入っていれば「1m用の視力表」では高い視力が出るのです。
ただし、強めの乱視がある場合は、それをキチンと矯正しなければ、視界全体がハッキリ見えません。
でももし、そう言ったことではなく、遠くも近くも中間も全体的に見え方が下がった・・・としたら、それは眼鏡やコンタクトで矯正できない、なにか病気の兆候かもしれませんので、まず行くべきは「眼科の先生」のところです。
眼鏡で視力を上げるとは?
普通に言えば「遠くの視力が上がる」事を表しますよね。
「明視域内」はハッキリと見えているのならば、目本来の能力が向上する意味ではない事がわかりました。
つまり、遠くの視力表に書かれている物がハッキリ見えるように明視域を遠方に動かす事が「眼鏡で(遠方)視力を上げる」という意味になるわけです。
眼鏡のレンズは光の曲がり方を変えて、明視域を移動させる事をしているだけなのです。
さて、私たちは自らの能力を高める為に、道具を発明し使いこなす事で「進化」をしてきました。
はるか昔、自分の身一つで生きていた人類と体の仕組みは基本的に変わらないはずです。むしろ体力などの面では優れていたかもしれません。
しかし、あらゆる道具を使いこなす事までを人の能力というのならば、祖先からみたらもはや神のような能力を身につけている・・・なんて言いすぎでしょうか?
眼鏡に関して言えば、その存在は間違いなくヒトの能力や可能性に平等さをもたらしました。
近視や遠視、乱視などが昔の人には無かったはずがありません。その存在を知らなければ「見る」事の能力の不平等は、そのままその人の人生の不平等に跳ね返って来ていたはずです。
老眼もそうです、昔の人は老眼にならなかったわけがありません。確かに寿命が伸びたおかげで一生のうちの半分は老眼と付き合わなけばなりません。
しかし眼鏡があるからこそ、老いても今までと同じく読み書きができるのです。
人はどんな動物よりも早く地上を移動し、どんな鳥よりも高く空を飛ぶ。ついにはどんな生物もたどり着いた事のない宇宙にまでその行動範囲を広げました。
「見る」ということも「眼鏡」という「進化の道具」を手に入れたことで私たちはその可能性を広げたのです。
しかし、人類社会の進化は止まりません。
獲得した「進化の道具」もそれに合わせてアップデートしなくてはならない。
「視覚」に関して言えば、遂に人類は次の進化を必要とする時がもうとっくにおとづれていたようです。
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