僕の目とメガネ②
こんにちは プラオプ ハセガワです。
自分の目と眼鏡についてのお話2回目です。
(前回はこちら↓↓↓)
眼鏡を掛けない状態で視力が両眼とも1.5出ます。
でもこれ。僕の場合あまりいい状態ではないのです。
「遠視」+「老視」です。
なぜなら「遠視」だから。
簡単に言って「視力がとても良い目」=「目に狂いがなくとてもよくできた目」という意味ではありません。
中にはそのような目をお持ちの方もいらっしゃいますが「まれ」です。みんなズレがあります。
遠くの星を見たときにシッカリハッキリ光の点として見える時、全く目に力を使わないで見える目を「正視」と言います。
しかし「遠視」の場合は、星を見るのにも自力でピント合わせをしなければハッキリと見えません。でも、それが無意識に行われているので普段自分を「遠視」だと気がついている事が少ないのです。
20代の時はピント合わせパワー(調節力といいます)がいっぱいあるので。全く問題にはなりませんでした。
余計な力を使っているにしても、自分がそれを余裕をもって吸収できて、視覚的にも身体的にも問題が無いならば何もする必要はないといえます。
でも細かい事をいえば、パワーを使って視力を出している・・・そんなイメージです。
ところがこのパワーは水晶体の生理的な変化によって段々と減ってきてしまう・・・。
このピント合わせパワー(調節力といいます)は基本的には近くを見る為に備わっている力なので、遠視があるという事はその分パワーロスがあるという事。
つまり近くのピント合わせが苦手とまでは言わないけど「正視」に比べて沢山のパワーが必要という事です。
じゃあ更に年齢を増してゆくとどうなるか・・・
とうとう近くにピントを合わせる事が難しくなってしまう・・・それがいわゆる「老視」というわけですが、遠視でパワーロスがある分、割と早めにその症状が現れてしまうのです。
「乱視」もあるよ
乱視とは・・・は下の記事を見ていただくとして・・・
これのお陰で夜は眼鏡無しだと光が滲んで見えます。
元々2.0が見えていた自分にとって、自分の「見える!」の基準はその時の「ハッキリさ」なのです。
だから視力検査で「1.2」が見えていたとしても、それがギリギリの場合全然見え方が足りないのです。
だって自分にとっての「見える」というのは遠くの星までクッキリシャープに見えていた事が「当たり前」だったのですから。
目も体の部品です。だから他の部品と同様に年齢と共に変化をします。
乱視も同様で、若い時とは変わる事がほとんどです。
なので乱視矯正をしてクッキリ見えないと気持ち悪いんです。特に夜違いますね。
そんなわけで「遠視+老視+乱視」です。
僕は眼鏡に携わっているので、早い時期に自分の目の状態と今後起こりうる変化を知る事ができました。
ですから早い段階で(早すぎるともいう)対策を行ってきました。
あ、もう1000文字・・・
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