光と闇
こんばんは!プラオプ ハセガワです。
明日明後日、8月4日と5日は連休をいただきます。
よろしくお願いいたします。
今日は8月3日。
本当なら長岡は大混雑。車は全然動かない・・・。そんな花火大会本番たっだはずです。
先ほど、慰霊の花火は四発上がりました。
月と一緒に見えてとても幻想的でした!
さてさて「光と闇」なにやら怪しいタイトルですが、お付き合いを・・・
光とは何か?
「光」というと何を思い浮かべるでしょうか?
「太陽」「電球」「星空」「街の明かり」
そんなふうに「明るいもの」というイメージでしょうか?
「粒子性」「波」「電磁波」「1秒間に30万キロ進む」「光速度不変の法則」「相対性理論」・・・
こんなふうに「光の正体」について思いを馳せるでしょうか?
「光」とは「電磁波」の一種であり「電波」など目に見えないものと同じ種類ものだと言われます。
でもここで「光は電磁波の一種」と言われているという事は、たくさんある「電磁波」というものの種類の中の一つを「光」と区別をしているとも言えます。
「光」=「明るさの元になるもの」といえば、つまりは「可視光線」の事をいうのでしょう。
「可視光線」は「電磁波」の中でほんの僅かな範囲のものです。
電磁波は「波」という字が付いていますが、その波の細かさによって様々に効果を変えます。
γ線やX線は「放射線」と言われ人体に害があると言われていますが、医療で利用されていたりもします。
マイクロ波は電子レンジに利用されたり、通信に使われたりします。
紫外線は日焼けを起こしたりしますが、ある種のビタミンの生成に欠かせない物です。
赤外線があることで暖かさが生まれます。
当然それらは目には見えません。
「明るさ」の元になる「可視光線」はほんの僅かな範囲の電磁波のことを指しているわけです。
電磁波は目に見えない。ではなぜ「可視光線」だけが「明るさ」を持つのでしょうか?
光には明るさなどないのかもしれない
それは「可視光線」といわえれる領域の「電磁波」を私たちの目が感じることができるからに他なりません。
つまり「明るさ」とは「人が脳の中で作り出している物」なのです。
私たちが暮らしている世界はあらゆる方向から電磁波が降り注いています。しかし、それらは言ってしまえば「波」それらには「エネルギー」があってもそれ自体が光っているわけではない。
つまり世界は「闇」に包まれている・・・。
虹の7色の光は「光そのもの」に色が付いて見えるのは、ある波長の光が目の中の光受容体に当たり、それが脳に伝わってそれを「色」として認識するからです。
私たちが見ている光にあふれたこの世界は、脳の中で作られた虚像と言えるかもしれません。
なにか高次元の存在が私たちを眺めていたとしたら、暗闇で自由自在にうごめいている・・・そんなふうに見えているのかもしれません。
闇とはなんだろう・・・
可視光線は、人の目の中にある光受容体を刺激する波長の電磁波であるとするならば、光受容体の性質が異なれば、私たちが見ることのできない波長を感じることができることでしょう。
生物の中には紫外線が見える物があります。それは人間と違う光受容体を持っているからで、人にとっては目に見えない光も、その生物にとっては「明るさを持った光」なのです。
人間がたまたま感じることができるから「光」と呼んでいるだけで、逆に人間が感じられないとしても、電磁波全体を「光」と言うのだとしたら
世界は光に溢れている・・・。
そんなふうにも言えるのかもしれません。
熱を持つ物は赤外線を放射します。赤外線も電磁波です。
太陽が沈んでも赤外線を放射する物はたくさんあります。私たち人間も赤外線を放射しています。
赤外線が見えるとしたら、夜でもそこに誰かがいる事を目で見ることができるでしょう。
だとしたら完全な闇というものを作り出すのは大変難しい・・・
結局は「光がない=闇」というのならば、闇さえも人の頭の中で作られた虚像なのかもしれません。
目に当たったある一定の波長の電磁波が、目の組織を刺激し、それが信号となって脳に伝わり、信号の集合を計算してイメージを作り上げる。
明るさも色もない真実の世界を、奥行きをともなった明るく鮮やかな世界に感じさせる「視覚」という感覚。
そんなふうに考えたら私たちが何気なく見ているこの世界に対して、畏怖の念を抱いてしまう・・・そんな僕の戯言でした。
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